つなげていくもの:古門亜季

 女の子なのに、子どもの頃から全く料理をしてこなかった。姉もそうだったと思う。母は片付けの手伝いはさせたが、女の子だから、いずれやることだから、というような形で身につけさせる気はなかったようだ。
 二十四歳の時、結婚することになって私はあわてた。味噌汁すら作れるかあやしい自分に。会社を三月末で辞め、五月末の結婚式までの期間、ドレスや新居やその他もろもろのことを進めながら母に料理を教わる事にした。「だしのとり方」「ほうれん草の茹で方」まずこんな所からの花嫁修業である。一つひとつ、事細かにメモした。母のレシピは父のお手製の裏紙で作った電話の横のメモ帳で黄ばんでいるが今でもファイルにある。母の料理で自分が作りたいメニューを頼んで、どんどん教えてもらった。よくある話だが、母の教え方はざっくりで「お鍋の中がこんな感じになったら、このくらいお醤油を入れて」となり、初心者の私はついてゆけない。「こんな感じ」はレシピに何て書いたらよいの?「このくらい」って大さじでいうといくつなの?レシピには「あとはあなたにおまかせ、料理は舌でおぼえろ」と困った私が私に向けて大真面目に書いてあったりするので、たまに見ると笑ってしまう。
中でも、一年に一度しか作らない「おせち」の一品「数の子とひたし豆」は私の大好きな料理。塩抜きした数の子と茹でたひたし豆をだし汁につけたものだ。だしが美味しくて主役とも言える料理なのだが、いかんせん塩梅が難しい。ひと晩つけてから味をみて、調整できるので何とか作れるようになった。
 私が結婚して、一年半で母が急死した。以来、二十一年間作らなかった年はなく、この味を食べ続けられる事に毎年喜びを感じている。実家から嫁に出るまでの、あのふた月は母娘が最後に過ごせた濃い時間だった。ドレスを試着し、料理を習い、京都で見た圧巻のしだれ桜。さまざまな料理と共に思い出される。
私の子どもは男の子二人。小四の弟が料理に興味津々で餃子を包む作業なども喜んで手伝ってくれる。作りたがりのこの子に夏休み、少しずつ教えることにした。レシピノートをわざわざ新調して、やる気満々だ。「ゆで鶏」「ハムと小松菜の卵とじ」など、簡単なものから教えると目を輝かせている。ハムはソーセージでも豚肉にしてもOK。小松菜もチンゲン菜にかえても作れるとレシピも一生懸命書いていた。
 時が過ぎ、今は春休みだが「お昼ごはん、焼きそば作ってくれる?」と聞いたら、「いいよ!」と返事が返ってきた。出来上がったものは、野菜がちょっと焦げていたけど、私のお皿は盛りが良くて「お母さんのために」感でいっぱいだった。
料理は人を想う。美味しいものを食べてほしい。私が母からもらったものは料理という想いそのものだった。それを今、息子に伝え、つなげていく。いつか、数の子も教える日がくるかもしれない。

 

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