一枚のワッフル:原田馨子

 ワッフル。そう聞くと、チョコが掛かったものや、生クリームが添えられたものを思い浮かべるが、私が思い出すのはシンプルなワッフルだ。何の飾り気もなく味付けもバターのみ。しかし、私は思い出の食べ物と聞くとそのワッフルを思い出してしまうのだ。
 私には物心がついた時から父親がいなかった。私が五歳の時、離婚したのだ。私は、自分に父親がいないことに疑問をもつことも無く、寂しいと思うことも無かった。
中学二年生の時、授業参観には多くの父親が来ていた。誰の父親かという話になり、さらには自分の父親がどんな仕事をしているかといった話になった。私が話す順番になり、私は「うちお父さんいないんだよね、離婚してて」と言った。そのとき、誰かがつぶやいた。「かわいそう」と。今思えばその子は素直な感想をこぼしただけであって、気にすることなど全く無かったのだが、当時思春期だった私を悩ませるには十分な言葉であった。私は果たしてかわいそうなのか。なぜ父と母は離婚したのか。そんなことばかり考えるようになった。あまりにそのことが気になって仕方がなかった私は、母に聞くことにした。すると母は私と父が会えるよう父に連絡を取ってくれたのだ。
 それから約二週間後、父と会うことになった。三人は渋谷駅の中の喫茶店に入った。沈黙に耐えられず、何か話題を探していると、注文したワッフルが運ばれてきた。その一枚のワッフルは半分に切られており、お互いに支え合って皿の上に盛り付けられていた。私にはそれがどうしても、二人に思われて仕方がなかった。これを私の手で崩すことだけはしてはいけないと思ったのだ。
母は私が遠慮していると思ったのか「食べていいよ」と言ってくれたが、私は「もったいなくて」と答えるのがやっとだった。父は私に様々な事を聞いた。学校のこと、塾のこと、友達のこと…。父は東京の方で頑張っているようだった。そして父は私に「離婚のことは本当にすまなかった。でもいつもおまえのことを思っているよ」と言った。
 私はこの瞬間にわかってしまったのだ。自分はかわいそうなんかではないと。そもそも、ほとんど記憶にない父を見た時、私は何も思わなかったし、目の前にいる男性が自分の父親であるという実感がまるで湧かなかった。しょうがないことだ。なぜなら、私の日常にこの人はいないし、この人の日常に私もいないのだから。
しかし、この人は私を想っていてくれたのだ。それだけで十分だった。私は私の生活があり、人生がある。それは、父も母も同じだ。父と母は別れてしまったけれどそれは決して不幸なことではないのだ。
 私は目の前にある、冷めてしまったワッフルを食べ始めた。盛り付けが崩れる。でも、程よい甘みが美味しい。だって、ワッフルはどんなカタチでも美味しいのだから。

 

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