卵酒:千田康治

 私は風邪をひくと扁桃腺が腫れすぐ高熱を出す子どもだった。そのたびに座薬の解熱剤を処方する医者とは、行くたびからかわれるほど顔なじみとなっていた。我が家では、私が熱を出したときの定番のメニューがあった。梅干とお粥、伝統的な宮城の年の瀬料理であるナメタガレイの煮付け、そして卵酒のデザート付きである。
 今思えば、父が全く酒を飲まなかったのに子どもが酒を飲むのはいかがなものかと思うのだが、料理好きな母にとって酒はハーブのような調味料であり、病気のときは薬の認識だったようである。肉と言えば鯨だった五十年前、卵も貴重な蛋白源であり、身体を温めるとともに熱で食欲が落ち不足しがちな蛋白質を摂取する卵酒は、当時の理想の病人食だったのだろう。
 適度に熱した日本酒に生卵を入れてかき混ぜるだけ。飛びきっていないアルコールの強烈な刺激が少年だった私の鼻を付く。飲めば酒と黄身の甘みの中、途中で白身が喉をドロリと通り過ぎていく。この不思議な食感の飲み物を私はある種の儀式のように思っていた。その後は湯冷ましを飲み、毛布と掛け布団を山のように掛けて体温が上がるのをじっと待つ。がっちり汗をかくまで、高熱のもたらす幻覚の中をうつらうつらしながらサウナのように動かずただただ待つ。当然汗をかくので大声で母を呼んで下着を取り替える。発汗による気化熱で体温が下がり、しばし身体が楽になる。そして熟睡、翌日には熱が下がっているという寸法である。
 今でこそ卵酒が市販されているが、売っている卵酒ではこうはいかなかったに違いない。中途半端に残ったアルコールの発熱作用、ドロリとした生卵の高栄養。普通は敬遠される白身の食感が、我が少年期の強烈な思い出として鮮やかに蘇る。
さて、現在はお陰様で病気になることも少なく、自他共に認める左党の実力者、毎日卵抜きの卵酒を飲んでいる。

 

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