自分史はもらっても嬉しくない!?

「自分史を出すのはいいが送るなよ」

これはある新聞に投稿された川柳です。
つまり、自分史を作った本人は良いが、それをもらった人は迷惑してる、
という趣旨のようです。
最近は終活の一環として、エンディングノートや自分史を奨める雑誌や記事が多くなってきましたが、
世の中には、自分史に対して否定的な意見があることも事実のようです。
そんなわけで、自分史といった言葉には書く方と読む方のギャップが存在することを知っておく必要があります。
しかし、自分史に無関心な人に加えて、少しネガティブな人に対して、自分史の意義についても
理解を深めてもらうことも重要だと考えています。
私なりに自分史の意義について考えたことがあります。
それは、ちょっと極端な例かもしれませんが、自分史とお墓はなんとなく似ているなって。
生前に自分の入るお墓の準備をされる方が多いと思いますが、
思いは死んだ後の自分の居場所を決めておきたいというのと、
できれば、たまに子供や孫に会いに来て(お参りして)欲しいというのがあると思います。
でも最近は、地方のお墓だと都会に住む子供たちが遠くて行けないということもあるでしょう。
自分史も思いを形にして残すという意味でお墓と似ています。
違うのは、お墓参りで故人に会いに行っても何も語ってくれませんが、
自分史はページをめくることで語り合うことが出来るかもしれません。
本棚の片隅に置いてあるだけで、いつでも話を聞ける安心感や安らぎを残されてた人たちに
感じてもらえるとすれば、自分史を書くことも悪くないように思いました。
自分史に対する理解は人それぞれですが、
自分の思いの居場所が”自分史”である、というのが私の自分史に対する考えになります。

(草野 将)

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